父と暮せば

 そのときのわたしは、「これら切ない言葉よ、世界中にひろがれ」と何百回となく呟きながら書いていました。

 原爆投下から3年後の広島、娘と父二人の会話による戯曲。図書館に勤めながら慎ましく暮らす美津江は、話相手の父から恋愛などについていろいろと助言を受けるが、素直になれないわだかまりをもっていた。
 井上ひさしの紡ぐ二人芝居は基本的にユーモラスでありながら、切々と胸に迫ってくる。被爆された方々の言葉の重みが凝縮されているからであろう。
 

父と暮せば (新潮文庫)

蜜蜂と遠雷

 「蜜蜂と遠雷」が映画化された。恩田陸の原作は、ピアノ音楽を言葉だけで表現し、素晴らしい読書体験を与えてくれた。しかし、実際に映像や音がつくと、その魅力が失われてしまうのはなぜだろう。
 俳優さんたちはそれぞれの登場人物をよく演じているが、音楽は形になってしまうと、文章で表現されていた輝きが消えて行ってしまうのだ。どんなに実際のいい演奏でも、失望の感を拭えない。
 「風間塵の演奏はこれじゃない!」と叫んでしまうのだ。
 文章で表現された音楽は想像の余地があり魅力をたたえ続ける。

蜜蜂と遠雷

包丁人味平

 「包丁人味平」は最もわくわくした漫画のひとつ。1973年から1977年に週刊少年ジャンプに連載された作品であり、子どもの頃、その単行本の発売が待ち遠しくてしょうがなかった。
 日本料理人の息子「味平」が成長していく物語である。まだ「グルメ」という言葉すら日本に存在していなかった時代、様々な料理や料理人の姿が描かれていた。
 小さな洋食料理店の修行に始まり、「包丁試し」「点心礼勝負」といった料理の対決が繰り広げられる。また、デパート間の経営上の威信をかけた「カレー戦争」など、組織としての対決も見られた。
 そこでは大小の料理に関する蘊蓄が繰り広げられる。原作者牛次郎お得意の大風呂敷のものもあるが、それはそれでまことに楽しい物語であった。
 料理の多様さと料理人の矜持を、昭和の熱気の中に描く「包丁人味平」は、職業漫画のルーツであり、日本漫画界のエポックメイキングとも言える名作である。

包丁人味平 〈1巻〉 包丁試し1

包丁人味平 全12巻セット (集英社文庫―コミック版)

向日葵の咲かない夏

 道尾秀介のミステリー「向日葵の咲かない夏」。夏休み前の終業式の日、小学校4年生のミチオは、休んだS君の家に届け物をするため訪れるが…。
 独特の空気をもった作品。根底には、一種の死生観をたたえている。
 読者を引きつける力はすごく、手にしてから読み終わるまで寝ることができなかった。
 ひと夏の特異な読書体験ができる一冊。

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

釈迦

 病み衰えた体で最後の旅に出るブッダ。それを支えるアーナンダとの語りや、浮かび上がる過去を通してブッダの思いが自然に綴られる瀬戸内寂聴の「釈迦」。
 静かな筆運びであるが、鮮烈な物語が織り込まれ、豊かなシンフォニーのようなまとまりがある。ブッダの涅槃に至るまでを丁寧に描いた円熟の小説。

釈迦 (新潮文庫)

フォン・ノイマンの哲学

 コンピュータ、量子力学、ゲーム理論、天気予報など、現代社会を支える理論を数多く構築した天才フォン・ノイマン。本書は、その生涯と関わった人々を描きながら、ノイマンの思想の根底に迫っている。
 ノイマンの圧巻の才能に驚かされるが、関わった数学者や物理学者の略歴も紹介され、実に興味深い。ノイマンは多くの分野に関わったため、現代数学や科学を概観する内容にもなっている。
 特に、第二次世界大戦と科学者たちとの関わりは、原子爆弾開発の史実とあいまって重みをもって読み手にせまってくる。
 1900年代にいかに科学が多様な広がりをもち、実社会への応用がなされた時代であるかを如実に伝えるとともに、私生活が絶妙のタイミングで記載され独特のユーモアをも放ち読み手を飽きさせない。
 真の天才の生涯を通し、現代科学の礎を俯瞰する密度の濃い良書。 
 

フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)

ノイマン・ゲーデル・チューリング

 二十世紀を代表する三人の天才フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングの三人について、代表的な講演・論文とその生涯・思想について触れた書。ノイマンの講演「数学者」、ゲーデルの講演「数学基礎論における幾つかの基本的定理とその帰結」、ノイマンの論文「計算機と知性」の全訳が各章の冒頭に記されている。
 三名の言葉もそれぞれ独特の個性を表出しているが、偉業を成し遂げたその生涯も実に興味深い。特に、結婚にまつわるエピソードが人生を象徴している感がある。各人の最期の姿には、天才の栄光と苦悩が凝縮されている。
 コンピュータや論理学の礎を築いた天才たちの息吹にふれることができる著。

ノイマン・ゲーデル・チューリング (筑摩選書)
高橋昌一郎

光媒の花

 道尾秀介の連作短編集「光媒の花」。花や虫をモチーフにした6編の物語。各話は、ゆるやかにつながりひとつの世界を形作っている。
 読み手に深い哀切と癒やしを与えてくれる珠玉の作品。

光媒の花 (集英社文庫)

時をかける少女

 筒井康隆の原作、細田守監督によるアニメーション「時をかける少女」。躍動感溢れる学園SF。山本二三美術監督が手がける背景が素晴しい。雲や標識の表現など、細田監督独特のこだわりが随所に見られる。
 夏を駆け抜ける、爽やかな青春アニメ。

時をかける少女
筒井康隆 細田守

わが子に教える作文教室

 「蕎麦ときしめん」など、ユーモア溢れる小説を手がける清水義範が、子どもたちの作文を豊かなものにするためのヒントを記した作品。自ら行った小学生への作文教室での作品を示しながら、親がどのように声かけをしたら子どもたちが楽しく書くようになるか、表現が豊かになるのかを語っている。
 素直に気持ちの動きが感じられる作文は、読んでいて気持ちがいい。そんな自然な作文や、読む人へのちょっとした配慮など、書き手のその後に繋がるような文章にする工夫が暖かく述べられ、読後感も良い。
 また、運動会での心の動きがほとんど書けない子が、「タイタニック」など船の事故についての作文をし、調査報告などに優れた力を見いだした点にはたいへん興味をひかれた。文学的な作文のみでなく、論述的な作文に才能を発揮する子もいるなど、作文においても個性を見いだすことが教育の役割であることを感じさせられる。
 すらすらと楽しく読める本であるが、中身はしっかりとしている。子どもを寛やかに見てゆっくりと伸ばしていく姿勢には教えられるところがある。

わが子に教える作文教室 (講談社現代新書)

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