生涯で自分が最も感動した音楽は、ベルリンフィルでも、ウィーンフィルでもない。群馬交響楽団が1992年3月31日に行った演奏である。
この日、高崎市の群馬音楽センターにて、群馬交響楽団を育ててきた丸山勝廣氏の楽団葬が行われた。葬儀委員長は、群馬県知事の小寺弘之氏。委員長挨拶は、決して形だけのものではなく、音楽を愛する人の思いが込められた言葉であった。
小澤征爾氏が献奏として、バッハのアリアを指揮した。小澤氏が手を静かに降ろした瞬間に鳴った群馬交響楽団の和音の美しさに、ふるえがきた。最初の一音で、楽団員たちの思いが伝わってきた。
曲が進むにつれ、涙がとめどなく溢れてきた。真に魂をふるわせる音楽だった。小澤氏は、曲の最後に指揮する両手を合わせ、祈りを捧げた。
たった一音で思いを伝えることができるとは。音楽の持つ力がこれほど強いとは。このアリアは生涯忘れ得ぬ演奏になるだろう。
山本直純氏の指揮で、群馬交響楽団合唱団の一員として、モーツァルトのレクィエムより「ラクリモーサ」を歌った。小澤征爾氏も横で歌っていた。自然と気持ちを込めることのできる曲であった。
群響が奏するベートーヴェンの交響曲第3番第2楽章(葬送)の流れる中、献花を行い、音楽センターの外に出た。
それから、友人たちと観音山に登った。山から一望できる春の息吹を感じる高崎の景色がひときわ美しく感じられた。オーケストラのある町に住む喜びが素直に胸を満たした。
桜が咲きほころぶ暖かい日であった。
「ゼータ関数の自明でない零点の実数部はすべて1/2である。」
「素数に憑かれた人たち」は、数学における最も重要な未解決問題「リーマン予想」について、その内容と、解決に挑んだ人々の姿を描いた書。奇数章には数学の解説が記され、偶数章には背景となる歴史や伝記的な話題が述べられている。
現代数学においても難問であるリーマン予想を、平易に記述し、伝えようとする工夫が素晴しい。数学教育においても、参考になる点が多い。また、数学者が生きた時代背景やエピソードが興味深い。単なる数学の解説書ではない広がりがあり、読み物としても飽きさせない。近現代における数学者の列伝としての側面も持っている。
歴史の縦糸のひとつとして数学が息づいている様を見事に描いた本。
「映画を作っているときは、時たま幸せだ。映画を作っていないときは間違いなく不幸せだ。」
「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」「シャイニング」など、こだわり抜いた名作を世に送り出したスタンリー・キューブリック監督の本格的な評伝。
写真に熱中した少年時代から始まり、映画を作り始めた頃のエピソードなども綴られている。「突撃」「スパルタカス」でのカーク・ダグラスとの出会いと決裂などもじっくりと記述されている。ピーター・セラーズ主演の「ロリータ」「博士の異常な愛情」も当時関わった人々からの丹念な取材で制作の雰囲気が浮かび上がる。
圧巻は、「2001年宇宙の旅」の章。およそ全てのSF映画を見て、宇宙や科学に関するありとあらゆる本を読破し、NASAの関係者や原作者アーサー・C・クラークとの対話を重ね、イメージを膨らませていく。撮影の過程の記述も、実に興味深い。SF映画の不滅の金字塔の地位は、今後も不動であると納得できる。
「時計じかけのオレンジ」「バリー・リンドン」「シャイニング」の撮影、美術、音楽へのこだわりが多彩なエピソードから伝わってくる。
キューブリック監督の実像に迫る気迫に満ちた労作。
映画監督 スタンリー・キューブリック
ヴィンセント・ロブロット 浜野 保樹
人類がいなくなった地球で、ゴミを収集する作業を一人続けるロボット、WALL・E(ウォーリー)の冒険を描く長編アニメーション”WALL・E/ウォーリー”。ピクサーとディズニーによる作品であり、個性豊かなキャラクターとよく練られたストーリーにより、素直に楽しめる。
ゴミの緻密な表現と、荒廃した都市のスケールの大きなCGに圧倒される。また、ロボット同士の交流では、最初は台詞がなく、仕草のみで表現しているところに、ピクサーCGの職人的なこだわりと確かな技術を感じる。
情感が静かに伝わるいい雰囲気の前半から、後半、一気にスピード感が増すストーリー展開も高揚感があって良い。
第81回アカデミー賞長編アニメ映画賞の他、数々の賞に輝く快作。
九ちゃん 「『ごめんなさい』って言われたら、けんちゃんなんて言う?」
けんちゃん 「『いいですよ』って言うな。」
九ちゃん 「それそれ、それが "That's all right." さ。」
「モクモク村のけんちゃん」は、1970年代当時のTBSブリタニカの英語教材として製作された紙芝居。カセット5巻に収められた物語で、当時小学生だった自分は何度聴いても飽きなかった。美しかった村が遠くからの煙によって汚い空気と川になってしまい、元の村に戻すためにけんちゃんが冒険をする物語。暖かみのある絵と、明瞭なストーリーにより、自然と英語の世界に引き込まれていく。環境問題を予見した内容でもあった。
けんちゃんが冒険をする国が、英語で話されているという設定が秀逸で、聴き手は、けんちゃんが言葉を覚えていく過程で自然と英語に馴染んでいく。案内役の九官鳥の九ちゃんを通じて、英語の意味がわかるようになっており、実に見事な脚本。小学校英語活動においても参考になる要素がある。
永らく入手困難な幻の教材であったが、ブリタニカ・ジャパンよりパソコン用のデジタル紙芝居として復刻された。
子ども用英会話教材の金字塔ともいえる優れた作品。
「天は自ら助くる者を助く」
サミュエル・スマイルズの世界的ロングセラー「自助論」。努力・勤勉・忍耐・独立・誠実の重要性を、膨大な例で語る著作。1858年、イギリスが世界最強の国であった時に書かれた本であり、文章に勢いを感じる。
日本では明治4年に中村正直の訳により「西国立志編」として出版され、100万部の超ベストセラーとなった。その独立と向上をうたった文章は明治の青年たちを奮い立たせ、近代化を推進する精神的な支柱のひとつとなった。
自助論は、150年の時を経てなお多くの人に読まれている。この本を「古い」とか、「あたりまえ」と一蹴するのは簡単である。しかし、本気で向き合って初めて見えるものが世の中にはたくさんある。
「そうだ、やさしいことばでこそ、人の心のなかに入っていけるのだ、むずかしい理論、高い思想、深い感動を、みんなにわかるやさしい、平らな、なめらかなことばで伝えていかなければ、文化はみんなのものにならないのだ」
98歳になるまで、国語教育に渾身で取り組み、多くの生徒たちを育てた大村はま。その教え子であり、晩年はまの仕事を支えた苅谷夏子氏が著した「評伝 大村はま」。
大村はまの人格が形成され、国語教師として実践を重ね、多くの生徒の生涯に影響を与える授業を創り上げる過程を丁寧に描いている。
日露戦争、関東大震災、太平洋戦争、戦後の混乱など、日本の近現代史を背景にしながら、大村はまの関わる人々や当時の学校の様子が生き生きと綴られ、物語としても惹き付けられ、飽くことがない。
はまの学びや実践から、教育に対する様々な考え方が具体的に記され、極めて示唆に富む。
平易な言葉で、するすると読むことができるが、実に多角的な視点で大村はまの人物と実践が語られ、内容はたいへんに深い。心にすんなりと言葉がはいってくる。この本そのものが、大村はまによる国語教育の成果とも言える。
多くの感動と真の敬愛に満ちた、優れた教育書。
「赤ひげ」は、黒澤明監督のヒューマニズムあふれる映画。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を原作とし、加山雄三演じる若き医員と三船敏郎演じる小石川養生所の責任者「赤ひげ」との関係を中心に、患者との様々なエピソードが連なる人間賛歌。
名場面に満ちた作品だが、撮影手法の見事さも相まって、女優たちの演技が印象に残る。狂女を演じる香川京子の美しさゆえに鬼気迫るシーン、根岸明美の入魂の語り。桑野みゆきの持つはかなげな雰囲気なくしては、山崎努演じる佐八とのエピソードは成り立たなかったであろう。二木てるみ演じる少女も、後半のテーマを支えている。
小石川養生所の門は、「博愛」を象徴するかのように、十字架を二つ連ねた形に見え、名優の背後で存在感を持つ。
俳優の熱演とスタッフのこだわりとが結実した、日本映画の名作中の名作。
「名曲というものは実に繊細にできていて、全体ばかりでなく、部分部分が驚くほどきめこまかく完成されている」
なかにし礼の小説「世界は俺が回してる」でのポイントとなる音楽を集めたCD。どの曲もたいへん味わいがあり、時代を超えて楽しめる。解説書に描かれた、宇野亜喜良の挿画が当時の雰囲気を醸す。
世界は俺が回してる
なかにし礼 ジョージ・ガーシュウィン セルゲイ・ラフマニノフ オスカー・ピーターソン ハリー・ベラフォンテ 沢たまき 越路吹雪 ペレス・プラード ザ・スパイダース 西田佐知子
「ノルシュテインの作品はすべて、いわば夢のフィルターをとおして世界をみているような気分にぼくらを誘い込む魔力をもっている。」
1982年1月23日、日仏会館で「セロ弾きのゴーシュ」の完成試写会が行われた折りに、高畑勲監督、美術担当の椋尾篁氏などから挨拶があった。仕事の合間に、コツコツと作ってきたアニメーションへの思いが語られた。
その試写会で併映された「霧につつまれたはりねずみ」は、「ゴーシュ」の高畑勲監督にとっても、ノルシュテイン作品との最初の出会いだった。
ノルシュテインの作品である「話の話」は、古今のアニメーションの中でも抜きん出て芸術性が高く、難解な作品。赤ん坊を見つめる狼、ミノタウルスと少女の縄跳び、もの悲しいタンゴの調べで踊る男女から、ひと組ひと組パートナーが消え残される女性たち。繰返し現れるリンゴ。それらのシークエンスから、作者は何を語ろうとしているのか。
高畑勲氏は、アニメージュ文庫「話の話」の中で、この作品を詳細に解説している。その文学的香気に満ちた解説から、「話の話」の意味と価値が見事に浮き上がる。
「話の話」をさらに鑑賞したいと思うと同時に、一つの映像から、これだけ多くのことを読み取り、思索し、語ることができるのかと、アニメーション作家の想像力と表現力に脱帽した。
話の話 (アニメージュ文庫 (F‐006))
高畑 勲 アニメージュ編集部
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