映画 寄生獣
人間への寄生生物との闘いを描いた岩明均の漫画「寄生獣」。山崎貴監督により映画される。漫画を読んだときは、実写化は困難だろうと思ったが、見事に表現されていた。
強烈なサスペンスをもつ意欲作。
人間への寄生生物との闘いを描いた岩明均の漫画「寄生獣」。山崎貴監督により映画される。漫画を読んだときは、実写化は困難だろうと思ったが、見事に表現されていた。
強烈なサスペンスをもつ意欲作。
テロにより人質として監禁された日本人たちが、自らのことを朗読で語り合う。それぞれが人生の一断片であり、閉鎖された環境でその言葉はいっそう輝きを増す。
小川洋子が描く、静かに心に響く小説。
「翔んで埼玉」は、「パタリロ」の魔夜峰央による漫画。東京に入るのに通行手形が必要な「埼玉」を徹底してさげすむ描き方をしている。しかし、それがあまりに極端であるがゆえに、ユーモアとして受入られる。根底には一種の郷土愛に貫かれているのがよいのかもしれない。
映画「翔んで埼玉」は、武内英樹監督による映画。二階堂ふみ、GACKTが思いきりのよい演技をしている。伊勢谷友介の怪演がよいスパイスになっている。
茨城もひどい描き方だが、群馬などは恐竜や謎の生物が跋扈する秘境という扱い。この極端さがよいのだろう。
翔んだ描写で楽しませてくれる突き抜けた映画。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第二十二回は、「京よりの使者」。桶狭間の戦いから4年後、光秀は越前で質素な暮らしをしていた。そこに、将軍足利義輝に仕える細川藤孝が訪れ、三好長慶に権力を掌握された京の実状を語り、光秀に将軍と謁見してほしい旨を伝える。
6月7日以来、新型コロナウィルスにより撮影が中断し、ほぼ3ヶ月ぶりの放送となった。久しぶりに聴くオープニング、登場人物に、懐かしさすら感じる。
その後の様子が、知的な脚本で丁寧に描かれ、この大河の良さがじわりと伝わるよい再スタートであった。
アーサー・C. クラークのSF小説「宇宙のランデヴー」。
SFの真価がイマジネーションの豊かさにあるとすれば、まさしく名作である。ことに、科学的知見とイマジネーションのバランスが実に見事である。ハードSFの嚆矢。
「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」
赤塚不二夫原作の漫画は何度もテレビアニメシリーズになっている。それぞれ時代のテイストを加えながら、キャラクターも微妙に変化している。しかし、赤塚漫画の本質である、価値観やルールにしばられない主人公たちの自由な生き方はどれも根底にもっている。そのギャグの普遍性ゆえに、時代を超えて赤塚作品が映像化されているのであろう。
テレビアニメの音楽も、実に明るく楽しい。1966年の「おそ松くん」のオープニングからして、新鮮な躍動感がある。作詞は赤塚不二夫、作曲は渡辺浦人。群馬県立中央高等学校、現在の中央中等教育学校の校歌の作曲者でもある。
そのご長男、渡辺岳夫はドラマやアニメの音楽に多大な足跡を残しており、「天才バカボン」の音楽も手がけている。天才バカボンのテーマ曲、それに続く「元祖天才バカボン」の「タリラリランのコニャニャチワ」「パパはやっぱりすばらしい」「元祖天才バカボンの春」などは氏の作曲である。
1969年に放送開始されたアニメ「ひみつのアッコちゃん」のオープニングテーマは、小林亜星が作曲している。名曲ゆえに、1988年の第2作、1998年の第3作でもオープニングに用いられている。
2015年に発売された赤塚不二夫生誕80周年CDでは、赤塚アニメを彩る音楽が一堂に集められ、あらためて作品の魅力を感じさせてくれる。自由闊達な赤塚ギャグを彷彿させる音楽は全肯定、「これでいいのだ」
赤塚不二夫の問題作を満載した別冊宝島編集の1冊。藤子不二雄、北見けんいち、武居俊樹のインタビューの後、赤塚のシュールな作品群が怒濤のごとく続く。
たかがギャグ、されどギャグ。これらの作品には、自ら体を張って笑いを求めた者のみが到達し得る境地がある。
「これでいいのだ。」という全肯定の体現には、強烈な発散と抑制のバランスがあることが感じられ、戦慄すら覚えた。
田中芳樹の小説「銀河英雄伝説」を原作とするアニメの劇場版第一弾。皇帝と貴族が支配する銀河帝国の英雄ラインハルトと、共和主義の自由惑星同盟の才人ヤンとの緒戦を描く。 スペース・オペラであるが、歴史小説のような趣きを持つ。マーラーの交響曲など後期ロマン派のクラシックが重厚な雰囲気を醸す。
長大な物語の導入部をなす記念碑的映画。
最近のコメント