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チャイコフスキー 交響曲第6番

 一種の対比の現象であろうか。ベートーヴェンの華麗なピアノ協奏曲や明朗な響きを持つドヴォルザークの曲の後でチャイコフスキーの交響曲第6番の冒頭を聴いたので、う~暗いな~と感じてしまった。第1楽章の起伏の激しいドラマのような曲は、運命を乗り越えようとするベートーヴェンとも、良いものを掬い上げようとするドヴォルザークとも質を異にして、個人の呻吟のように聞こえる。しかし、第1楽章を聴き終える頃には共感してしまうのは、旋律の美しさゆえだろうか。第2楽章のメランコリックな叙情に浸り、第3楽章の最期の乱舞に圧倒される。そして、人生の帳を静かにおろすかのような終楽章。
 今日聴いたゲオルグ・ショルティ指揮、シカゴ交響楽団の演奏は、比較的あっさりとした印象がある。もう少し情感のある表現が欲しい気もするが、抑制によって、かえって曲の美しさが際だっているのかもしれない。

チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調「悲愴」
シカゴ交響楽団 ゲオルグ・ショルティ
B00005FLQA
 

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