黄金を抱いて翔べ
高村薫のデビュー作。緻密さと重厚さのあるサスペンス。銀行の地下にある金塊強奪という、古典的な話だが、深く掘り下げられた人間の描写には文学の香りが色濃く漂う。
黄金を抱いて翔べ
高村 薫
高村薫のデビュー作。緻密さと重厚さのあるサスペンス。銀行の地下にある金塊強奪という、古典的な話だが、深く掘り下げられた人間の描写には文学の香りが色濃く漂う。
黄金を抱いて翔べ
高村 薫
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番から第6番を収めたタカーチ弦楽四重奏団のCDを聴く。ベートーヴェンの若き日の作品は躍動感にあふれ、タカーチ弦楽四重奏団の緻密で精悍な演奏が一層その魅力を浮き上がらせている。
ベートーヴェン:初期弦楽四重奏曲集
タカーチ弦楽四重奏団 ベートーヴェン
ベートーヴェンが埋葬されているウィーンの中央墓地を訪れたのは、13年前のクリスマスの日であった。ウィーン郊外の駅に降り立ち、墓地の入り口に立つと、一面の雪景色であった。当然であるがいずこも墓ばかりで、しかも白い雪に覆われていたため、歩いているうちに道に迷ってしまった。
見渡す限りの墓に囲まれあたりには誰もいない。曇天で薄暗く、カラスが鳴いている。白と灰色の世界である。このまま周りの墓の住人のように、この地に身を埋めるのかと思ったとき、なぜかベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」の第2楽章がいずこともなく聞こえてきた。幻聴であったろうが、心が静かに落ち着いた。しばし歩みをすすめるうちに、音楽家の墓にたどり着くことができた。
シューベルト、ブラームス、ヨハンシュトラウスなどの墓があり、その中でもひときわ風格のある錐形の碑がベートーヴェンの墓であった。
息子がベートーヴェンの伝記の音読を終えたため、楽聖の墓所を訪れたときのことがよみがえった。ドイツ文学者の高木卓による伝記で、ベートーヴェンの若き日の才気煥発な様、モーツァルト、ハイドン、ゲーテとの交流、多くの友や女性との出会い、耳が聞こえなくなった苦悩などが平易でありながら品のある文で描かれている。
最後の「月桂冠」の章は、幾多の苦難を音楽に昇華させた生涯に畏敬の念をこめて、墓地の前で頭を深く垂れたことを思い出させてくれた。
ベートーベン―運命の大音楽家
高木 卓
エミール・ギレリスのピアノ、アマデウス弦楽四重奏団によるブラームスのピアノ四重奏曲第1番を聴く。情熱とほの暗さが交錯する独自の曲調。第3楽章の寄り添うような暖かみのある旋律が、ことに美しい。
併録されている、ブラームス若き日のピアノ独奏曲「4つのバラード」作品10は、晩年の間奏曲に通じる、深い泉に反射する木漏れ日のような憂いを含んだ抒情を湛えている。
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1
ギレリス(エミール) アマデウス弦楽四重奏団員
NHKで放映されたアニメ「おーい!竜馬」雄飛編のビデオを見終わる。
最終回には唖然とさせられた。竜馬が上海から日本に戻るところで話が途切れ、ほんの十数分で竜馬が暗殺されるエピソードに飛ぶのだ。肝心の竜馬が活躍する場面が全くといっていいほど抜け落ちている。勝海舟との出会いも、海援隊の話も、新選組との関わりもない。薩長連合、大政奉還などがダイジェストでふれられているだけである。武市半平太にも岡田以蔵にもまったく触れられない。
最後の1クール、13話分が打ち切りになったとしか思えない。なぜ、これほど丁寧に作られたアニメが、途中で投げ出すような形になってしまったのか。残念でならない。
「3 以上の自然数 n について、xn + yn = zn となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせは存在しない。」
サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」は、この一見単純な定理に挑戦した様々な人々のドラマを描いている。
「フェルマーの最終定理は数学のセイレーンなのだ。天才たちを魅惑の声で誘っては、その希望を打ち砕く。」
この書では、数学者ワイルズの完全証明に至る苦難が後半のテーマであるが、特筆すべきは、証明に大きく貢献した「谷山=志村予想」という日本人による理論が取り上げられている点である。数学者谷山豊と志村五郎の物語は、たいへん胸を打たれる箇所であった。
フェルマーの定理を軸としながら、様々な数学にまつわるエピソードを積み重ね、ドラマチックなうねりをつくりだす筆力には圧倒された。日本の理数教育に求められるのは、このように大所から捉え、具体的に分かりやすい形で学問を示す人材の層の厚さかもしれない。
フェルマーの最終定理
サイモン シン Simon Singh 青木 薫
小学校から中学校に上がった段階で、学習につまずいたり、学校に適応できなくなる生徒が増える「中一ギャップ」が盛んに言われるようになった。特に、中学校数学についてはギャップを感じる児童生徒が多いようだ。小学校6年生まで算数が好きである児童の割合と、中学1年生になって数学が好きである生徒の割合を比較すると、急激に落ち込むことが示されている。
ひとつには、文字式の扱いなど、いままでより抽象的な思考が求められ、それになかなか習熟できない生徒が増えることも一因だろう。長男に取り組ませてみたところ、正・負の計算、文字式の計算には、慣れるまでかなりの時間がかかった。正・負の計算では、小学校で習った分数・小数の計算がいっぺんに登場するため、その定着がはかられていない場合には、相当苦労することが感じ取れた。文字式の計算になると、さらに複雑さが増していく。「マイナス符号に注意」「文字をつけ忘れない」このことを何度繰返し言っても、なかなか身に付かない。2ヶ月かかって一次方程式を応用も含めて一通りこなし、120ページの計算編を一冊終える頃になり、ようやくミスがなくなってきた。とにかく、中一数学の習熟には練習がかなり必要であることをまざまざと感じた。
取り組ませるにあたり様々な問題集を比較したが、「くもんの中1数学計算編」は、スモール・ステップで問題が配列されており、基礎を固めるには適していると感じた。
数式処理ソフトMathematicaの解説書として、不動の地位を占める著作。Mathematicaの柔軟性と適用の広さを豊富な事例で示し、数学を体験的に学ぶ書ともなっている。入門から熟練者まで、それぞれの段階で役に立つ。
訳者の思い入れのあるあとがきも、この書の重さを物語っている。
「本書は計算機科学の本として、第一級の本となってしまった。」
Mathematica 方法と応用
J.W. グレイ John W. Gray 時田 節
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