「緑響く」-鮮やかな緑の森に囲まれた湖のほとりを、一頭の白馬が歩む絵。この絵と初めて出会った感銘は、今でも色あせることはない。
東山魁夷が64歳、1972年に描いた18枚の連作「白い馬の見える風景」。清澄な風景と白馬が詩情を奏で、深く心にしみ入る作品。
白馬幻想―心の風景より
東山 魁夷
美術館で初めて涙を流したのは、東山魁夷館で「コンコルド広場の椅子」の一連の絵を目にした時であった。なんて詩情あふれる絵なんだろうと。
コンコルド広場の椅子
東山 魁夷
長野市の善光寺から少し歩いたところに、長野県信濃美術館、東山魁夷館がある。
東山魁夷 - その祈りにも似た風景画を直接目にしたとき、込み上げてくる感動があった。「静唱」をしばらく見入っていた覚えがある。気持ちが透明になってくるようであり、その絵の前にずっと佇んでいたいと思える絵であった。
17世紀オランダを代表するフェルメールの絵画。その36作品の魅力を、赤瀬川原平が語る画文集。読むと、本物のフェルメールの絵を無性に見たくなる。
赤瀬川原平の名画探検 フェルメールの眼
Johanes Vermeer
手塚治虫の生きている姿を、一度だけ直接目にしたことがある。自分が大学生の頃、池袋の文芸座で、手塚治虫のアニメーションがオールナイトで上映される際、挨拶された姿である。
上映されたのは、「ある街角の物語」「展覧会の絵」「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」の5作品である。
手塚治虫は、それぞれの作品について、簡単なコメントをしていた。どれもあまり肯定的ではなく、失敗作だったというような話であった。
このオールナイトを見る前、東京工業大学の長津田にあるキャンパスに、研究室の公開があるというので出かけた。森の中にそびえ立つ研究棟に圧倒された。興味のあったコンピュータ・グラフィックスを研究している展示を見た。研究そのものの中身は忘れてしまったが、展示されていたフランスのコンピュータ・グラフィックスが印象深く、いまでも覚えている。飢餓や欲望をモチーフにした作品で、口がどんどん増殖していくアニメーションであった。今思うと、コンピュータで描く必然性は全くない気がするのだが、そのグロテスクな表現は強烈であった。
その後、手塚作品のオールナイトを見るわけだが、「ある街角の物語」には、ほっとさせられた。CGとは対極の、人肌のぬくもりを感じるアニメーションに、心底やすらぎを覚えたのだ。
最近のコメント