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映画 沈まぬ太陽

 山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」は、5巻に及ぶ大作である。組織の構造的問題を鋭く突くテーマ、世界各地に及ぶ舞台など、そのスケールの大きさゆえに、映像にするのは困難と思われたが、ついに映画化された。
 大作が映画になる場合、パート1、パート2などに分けたり、三部作にするケースが多いが、「沈まぬ太陽」は、3時間22分の枠に収められた。長く描こうと思えばいくらでも長くできるだろうが、1本にすることで、テーマがより明確に浮かび上がったように感じる。
 不屈の信念と矜持を持って生きる主人公、恩地を渡辺謙がじっくりと演じている。三浦友和演じる、恩地のライバル行天の、エリート社員の風貌で平然と悪事をなす姿が印象的。
 何より、航空機墜落事故の描写には、感涙を禁じ得ない。
 スタッフの執念が伝わる、渾身の日本映画。

沈まぬ太陽

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽

 「沈まぬ太陽」を強く意識するようになったのは、1999年の群馬交響楽団定期演奏会で、「ヴェルディのレクイエム」を歌った日であった。300人を超す合唱団員の一人として舞台に立ったが、幸運なことに、ソリストのすぐ後ろ、指揮者高関健氏の真ん前で歌うことができた。日本を代表するソリストの歌唱を手が届くほど間近で聴き、音楽に和すことができたのは、この上ない幸せであった。

 本番が終わった後には、合唱団員が舞台に再度集まり、指揮者やソリスト、合唱指導者などが講評を行うセレモニーがある。このとき、メゾソプラノの永井和子さんが、こんなことをおっしゃった。

 「山崎豊子の『沈まぬ太陽 第3巻』をちょうど読み終えたところで、この地の近くである御巣鷹の尾根で飛行機事故により亡くなった人々の冥福を祈りながら歌いました。」

 捧げる対象があることで、音楽の真価が表れることを深く感じさせられた日であった。

 ジャンボ機墜落事故を軸に、航空会社を描く大作「沈まぬ太陽」は、極めて密度の濃い、充実した読後感のある作品。元日航社員の小倉寛太郎氏、鐘紡会長の伊藤淳二氏など、実在の人物や事柄がモデルになっている。それらの人々の真摯な生き様と、利権を守ろうとする魑魅魍魎の対比が見事な筆致で活写されている。

 中核をなす御巣鷹山の惨事とそれをめぐる家族の描写は、涙なくしては読めない。作家生活40年で培われた卓越した語り口に魅惑され、テーマに向かう気迫に圧倒された。
 

沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) (新潮文庫)

小倉寛太郎氏

 2005年の5月4日に、群馬県立自然史博物館の特別展「アフリカの風~小倉寛太郎サファリ3000日」を見に行く。小倉寛太郎氏は、山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」のモデルになった人である。氏がアフリカでハンティングをした剥製や、アフリカの動物や自然を写した雄大な写真が多く展示されていた。
 印象的だったのは、小倉氏の自宅に集う人々の写真で、中には渥美清や八千草薫なども写っていた。氏を通してアフリカの魅力にとりつかれた著名人は多いようだ。

1999年駒場祭講演会・小倉寛太郎「私の歩んできた道」
「小倉寛太郎さんお別れの会」についてのご報告 (吉川勇一氏)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) (新潮文庫)

墜落遺体

 「墜落遺体」は、1985年当時、遺体の身元確認作業の責任者であった著者による現場の記録である。
 遺体の頭部の中から、他の人の目玉が発見されるなど、航空機事故の凄惨さが如実に伝わってくる。遺体が運びこまれる藤岡市民体育館は、気温が40度に上がり、死体の悪臭と線香の煙がたちこめ、時おり遺族の号泣や叫喚が響き渡る。
 そんな中で、自ら病を患いながら、過労で寿命を縮めてまで遺体確認作業を全うする医師。遺族のショックをできるだけ和らげるよう、頭や胴だけでなく内臓までも丹念に洗い、遺体縫合、包帯巻を粛々と行う看護婦たち。自らの身内の死に目にも会わず、遺族との対応を優先する警察官。苛酷な現場で懸命に取り組む人々に、ひたすら頭が下がる思いであった。
 そこに描かれているのは、職務を越えて、人としてなすべきことを憑かれたように行うことで、救いを求める姿であるようにも思えた。

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)

映画 クライマーズ・ハイ

 横山秀夫原作「クライマーズ・ハイ」は、1985年8月12日の日航機123便墜落事故をめぐる、新聞社の動きを描いた小説。当時、その近くに住んでいた者として、格別の思いを感じさせられた作品である。

 その原作を映像化した作品として、原田眞人監督、堤真一主演の映画と、NHKで放映された佐藤浩市主演のドラマがある。どちらも個性的な俳優を生かして、記事をめぐる熱い闘いを描いていた。
 映画では、新聞社編集部を再現した広大なセットを生かして、ダイナミックな演出がなされた。女性記者の活躍を取り入れた独自のストーリーが見られた。
 NHK作品では、原作に忠実に、緊迫したドラマが展開された。個人的には、大森寿美男の緊密な脚本による、NHKのドラマに強く心を打たれた。
 被害者遺族も多く、覚悟を持って制作された作品であり、重みを感じる。

クライマーズ・ハイ [DVD]

クライマーズ・ハイ [DVD]

ドラマ クライマーズ・ハイ 後編

 横山秀夫原作のNHKドラマ「クライマーズ・ハイ」の後編。
 主演の佐藤浩市は谷川岳の衝立岩に自ら挑み、体を張って望んだ。
 御巣鷹の尾根で命を落とした人々を背負った作品である。中途半端なものは作れないというスタッフの意気込みが感じられた。
 「覚悟を持って」望んだドラマは、横山秀夫の原作の緊迫感と重みを見事に表現していた。

クライマーズ・ハイ[DVD]

ドラマ クライマーズ・ハイ 前編

 NHKで放映された「クライマーズ・ハイ」前編。横山秀夫の原作に忠実で、日航機墜落を追う新聞社の動きが、緊迫感をもって描かれている。主人公を佐藤浩市をはじめ、新聞記事に携わる人々を、存在感のある俳優たちが競演し、見応えのある人間ドラマとなっている。ニュース映像や、記者の表現から1985年の日航ジャンボ機123便墜落の大惨事がまざまざと思い出された。

 報道というテーマを軸に据え、様々な人間関係が縦横に描かれる実に密度の濃いドラマ。

クライマーズ・ハイ[DVD]

クライマーズ・ハイ

 1985年8月12日- この日、群馬県立万場高等学校で、就職希望者を対象にパソコン講座が開かれた。当時、まだ学校にコンピュータはそれほど普及しておらず、山懐に抱かれた普通科の高校で、生徒ひとりひとりがコンピュータに触れる機会はなかった。そこで、主に事務系を希望する3年生の生徒さんにコンピュータを体験させたいという思いで、企業からパソコンを借りて、6日間の日程で実習を行った。

 講座初日のこの日、自作したテキストに沿って生徒が夢中で取り組んでいる姿を見て、いい滑り出しになったことにたいへん気分を良くした。近くの教員宿舎に帰り、お酒を飲んでいると、サイレンの音やヘリコプターの飛ぶ音がやけに響き始めた。当時、教員となって1年目でテレビはおろかラジオすらもっていなかった。

 翌日、パソコン講座の会場にいくと、上野村からきている女子生徒さんたちが、昨日はたいへんだったねなどと話していた。「何がたいへんだったの?」と聞くと、「先生知らないの?昨日は飛行機が近くに落ちたので、お父さんたちもみんな山に行ったんだよ。」あわてて新聞を見て、墜落した航空機が524人を乗せていたことを知った。宿直室のテレビをつけると、一面緑の山中にできた傷痕、木々がなぎ倒され茶色い土と焦げた地面が見え、白煙のあがる墜落現場-御巣鷹の尾根が映しだされていた。

 この事故を新聞記者の立場で描いた「クライマーズ・ハイ」は、当時の世相や地元の様子を盛り込んでいることもあり、たいへん興味を持って読み進むことができた。

 新聞記事をめぐり、社内の確執が大小様々な形で起こる。しかも、新聞には「締切り」という、決断を下す刻限が毎日ある。そのため、独特の緊迫感を持った展開になっている。

 群馬県は、県境の半分が屹立した山である。自分にとって、山は身近なものであると同時に、憧れと安心、また時に畏怖の念を抱かせてくれ、乗り越えるべき対象の存在を象徴していた。クライマーズ・ハイは、そんな心象としての山も描かれており、救いのある読後感であった。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

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