「赤ひげ」は、黒澤明監督のヒューマニズムあふれる映画。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を原作とし、加山雄三演じる若き医員と三船敏郎演じる小石川養生所の責任者「赤ひげ」との関係を中心に、患者との様々なエピソードが連なる人間賛歌。
名場面に満ちた作品だが、撮影手法の見事さも相まって、女優たちの演技が印象に残る。狂女を演じる香川京子の美しさゆえに鬼気迫るシーン、根岸明美の入魂の語り。桑野みゆきの持つはかなげな雰囲気なくしては、山崎努演じる佐八とのエピソードは成り立たなかったであろう。二木てるみ演じる少女も、後半のテーマを支えている。
小石川養生所の門は、「博愛」を象徴するかのように、十字架を二つ連ねた形に見え、名優の背後で存在感を持つ。
俳優の熱演とスタッフのこだわりとが結実した、日本映画の名作中の名作。
「ノルシュテインの作品はすべて、いわば夢のフィルターをとおして世界をみているような気分にぼくらを誘い込む魔力をもっている。」
1982年1月23日、日仏会館で「セロ弾きのゴーシュ」の完成試写会が行われた折りに、高畑勲監督、美術担当の椋尾篁氏などから挨拶があった。仕事の合間に、コツコツと作ってきたアニメーションへの思いが語られた。
その試写会で併映された「霧につつまれたはりねずみ」は、「ゴーシュ」の高畑勲監督にとっても、ノルシュテイン作品との最初の出会いだった。
ノルシュテインの作品である「話の話」は、古今のアニメーションの中でも抜きん出て芸術性が高く、難解な作品。赤ん坊を見つめる狼、ミノタウルスと少女の縄跳び、もの悲しいタンゴの調べで踊る男女から、ひと組ひと組パートナーが消え残される女性たち。繰返し現れるリンゴ。それらのシークエンスから、作者は何を語ろうとしているのか。
高畑勲氏は、アニメージュ文庫「話の話」の中で、この作品を詳細に解説している。その文学的香気に満ちた解説から、「話の話」の意味と価値が見事に浮き上がる。
「話の話」をさらに鑑賞したいと思うと同時に、一つの映像から、これだけ多くのことを読み取り、思索し、語ることができるのかと、アニメーション作家の想像力と表現力に脱帽した。
話の話 (アニメージュ文庫 (F‐006))
高畑 勲 アニメージュ編集部
宮本輝の小説を原作とした、小栗康平監督の映画「泥の河」。戦後間もない頃の大阪を舞台とし、川縁の食堂の少年と舟で暮らす少年少女とのひと夏の出会いと別れを繊細に描く。モノクロ映画の美しさと力強さを鮮明に感じさせてくれる。
小栗康平監督とは何度かお話をさせていただいたことがある。その作品と同じくストイックな雰囲気を持った方であった。
シエナ・ウインド・オーケストラ演奏の2枚組CD。いやあ、これは素晴らしい。
「ロッキー」に始まり、映画音楽集かと思ったら、テレビ番組テーマ曲の演奏もあり、次々と懐かしい曲が流れてくるではないか。
特に、テレビのロードショー番組メドレーは感涙ものの懐かしさ。DVDやVHSビデオなどがない時代、映画はそれが放送される時間に、テレビの前に座って見なければならなかった。日曜洋画劇場は淀川長治の解説も見る者の気分を盛り上げ、映画の魅力を伝えてくれた。洋画劇場、ロードショー番組のオープニングは、昭和のテレビ世代にとって真に映画の入り口であった。
オリジナルの雰囲気を壊さず、華麗なサウンドで繰り広げられる粋な曲のオン・パレード。それらは曲名を見ずに耳を傾けていると、心により大きな起伏を生み出してくれる。
まさに、圧巻のテーマ曲集。
クリント・イーストウッド主演の映画「グラン・トリノ」。妻を亡くした元自動車工ウォルト・コワルスキー。子どもたちとの関係がうまくいかず、隣人のモン族についても何かにつけて気に障っていた。しかし、モン族の青年と関わるようになり、不満を鬱積させた老人の人生に変化が生じていく…。
クリント・イーストウッド演じる老人はもちろん素晴らしいが、モン族の娘スーを演じるアーニー・ハーのキャラクターが輝いている。また、クリストファー・カーリー演じる若き神父の存在が、この作品に深みを加えている。
多層的に様々な要素を詰め込みながら、自然な流れで物語りに引き込まれる。その手腕にあらためて感服する。
人の生き様をあぶりだす、静かな名作。
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