孟嘗君 4
治乱興亡が激しい中国戦国時代、田文、後の孟嘗君は、諸国を巡りながら様々な人との出会い、体験を積み重ね資質を高めていく。そして、人の長所を認め、活かしていく凛質が随所に現れていく。動乱の世、人々の生き様が田文を軸にくっきりとした輪郭で浮かび上がる。
孟嘗君(4) (講談社文庫)
宮城谷 昌光
治乱興亡が激しい中国戦国時代、田文、後の孟嘗君は、諸国を巡りながら様々な人との出会い、体験を積み重ね資質を高めていく。そして、人の長所を認め、活かしていく凛質が随所に現れていく。動乱の世、人々の生き様が田文を軸にくっきりとした輪郭で浮かび上がる。
孟嘗君(4) (講談社文庫)
宮城谷 昌光
カナダのロッキー山脈にあるバージェス頁岩からは、約5億3,000万年前に堆積した化石が数多く含まれている。その化石群から、カンブリア紀の多様な動物の姿が明らかにされていく。
NHKスペシャル「生命40億年はるかな旅」の第2話では、2本の触手でエサを捕らえ円形の口で食するアノマロカリス、5つの眼をもち、ゾウの鼻のような触手をもつオパビニアなど、現在の動物からは想像もつかない生物が、CGや模型で再現される。
子どもたちもたいへん興味を持って見ていた。生命の不思議さをまざまざと感じさせてくれる科学番組。
生命~40億年はるかな旅~第2集「進化の不思議な大爆発」
毛利衛 大島ミチル
「スター・ウォーズ」「ハリー・ポッター」「レイダース 失われた聖櫃」「1941」など、大作映画を盛り上げる曲を数々創りあげたジョン・ウィリアムズ。それらの名曲を、金聖響の指揮により、シエナ・ウインド・オーケストラが、見事なアンサンブルで燦然ときらめくサウンドを繰り広げるCD。
JW~ジョン・ウィリアムズ 吹奏楽ベスト!
金聖響&シエナ 晋友会合唱団 ウィリアムズ(ジョン)
ザ・スィングル・シンガーズによる、バッハのア・カペラ曲集を聴く。スキャット唱法を駆使したポップなバッハ。特に、ブランデンブルグ協奏曲第3番は高揚感があり素晴しかった。
スウィング・バッハ
スウィングル・シンガーズ バッハ
第13代将軍に家定がなり、江戸大奥の様子がわずかに垣間見られる。中村梅雀演じる井伊直弼の登場、和親条約の締結と、篤姫、島津斉彬の動きが平行して描かれ興味深い。歴史のうねりの中でもまれながらも前向きに進もうとするヒロインの颯爽とした姿が、漠とした不安につつまれた幕末の雰囲気と対照をなしドラマにふくらみを与えている。
2008年4月6日より、テレビ朝日で放送される「題名のない音楽会」で、佐渡裕が4代目の司会者となる。16年前、黛敏郎から新進指揮者として「題名のない音楽会」で紹介され、活躍の幅を広げた縁のある番組である。また、「題名のない音楽会」自体、佐渡裕の師匠であるバーンスタインが手がけた番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」に黛敏郎が刺激を受けて始まった経緯もある。佐渡裕と「題名のない音楽会」には浅からぬ縁があり、思い入れもあることだろう。司会者としての活躍を期待している。
「ボレロ!」は、佐渡裕が首席指揮者を務めたコンセール・ラムルー管弦楽団による、シャブリエの作品とラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」「ボレロ」の演奏を収めたCD。佐渡の指揮で生き生きと奏でるオーケストラには、前向きな気概を感じる。それゆえ、透明感のある音色と明瞭なリズムで描かれる洒脱なシャブリエやラヴェルの曲からは、ストレートに生きる喜びが伝わってくる。ラムルー管弦楽団は、演奏会用の作品として「ボレロ」を初演した歴史を持つ。佐渡裕がそのラムルー管を指揮した「ボレロ」には、精妙さと情熱が凝縮されている。
ボレロ!
佐渡裕 シャブリエ ラヴェル
パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニーによるベートーヴェンの交響曲第4番、第7番のCDを聴く。くっきりとした輪郭を持った、推進力のある演奏。
ベートーヴェン:交響曲第4番&第7番
ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン ヤルヴィ(パーヴォ) ベートーヴェン ヤルヴィ(パーヴォ)
質屋の主人と勘当された火消し人足の息子とのやりとりを軸に語られる「火事息子」。志ん朝の語りが江戸の風物をくっきりと浮かび上がらせる。抑制の効いた人情噺。
「厩火事」は、道楽者の夫を持つ女房と、その愚痴を聞く仲人の旦那とのやりとりが、畳みかけるようなテンポで語られる。
ボロディン四重奏団が結成50周年を記念して1994年に録音したロシア作曲家による室内楽のCDを聴く。美しい旋律としみじみとした抒情をもつボロディンの「ノクターン」に始まり、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」などの名曲が香り立つ。
シェバーリン、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ヴァインベルク、シュニトケ、グラズノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなど、様々なロシア作曲家の室内楽が繰り広げられ、多様な魅力を堪能できるアンソロジー。
アンダンテ・カンタービレ~ロシアへの誘い/ボロディン四重奏団
ボロディン四重奏団 ストラヴィンスキー ボロディン
『この単元で教わったいちばん大事なことは、こつこつとした作業を確実に誠実に重ねていくと、ちゃんとある程度の仕事ができるということだった。…… このつつましくて誠実な仕事のこなし方は、国語という教科に限定されるものではなかった。学校の中にさえ限定されない。』
「教えることの復権」は、大村はまの授業を通じ、教師の「教えること」を見つめ直した本。大村はまの教え子であった苅谷夏子が、その授業から得たものを伝える記述には心を揺さぶられた。優れた実践が、学ぶ側から実に豊かに描かれている。
『学校という場は、すでにできあがった知識体系を、疑う余地も残さず、あたりまえの顔をして教えてしまう。立派な知識のお城を前に、生徒は萎縮した未熟な存在にならざるをえないところがある。ところが、この「ことば」という平易な、しかしやっかいなことばの分類をしてみたことで、私は、しゃんと背筋が伸びた気がしたわけだ。過去に知的遺産を築いた人々と同等の資格を持って、堂々と勉強を進める楽しさを教えられたのかもしれない。』
本書の後半では、苅谷剛彦が大村はまの授業実践を基にして、「教えること」の意味を論じている。
『大村の実践が示す「教えることの責任」とは、教師自身が自分自身の実践をどれだけ冷徹な目で誠実にチェックできるかどうかにかかっている。それも、授業の出来不出来というだけでなく、生徒たちにどのような具体的な力をつけることができたのかを、突き放して見ることができるかどうかなのだ。』
なぜ子どもたちを教えるのか。教育の根元的な問いかけを見つめ直すきっかけとなる本。
教えることの復権 (ちくま新書)
大村 はま 苅谷 夏子 苅谷 剛彦
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