富士急ハイランド

Fujiq01  家族で富士急ハイランドに行く。絶叫系と子ども向けのアトラクションが、バランス良く配置されている遊園地。
 絶叫系では、「ええじゃないか」「ドドンパ」「FUJIYAMA」の三大コースターがその代表。
 「ええじゃないか」は、コースターのレールから座席がはみ出し、足をぶらぶらさせたまま運ばれる。76mの高さから、いきなり後ろ向きに89度の角度で急降下し、その後、前後左右に何度も急回転する。方向感覚がなくなり、もう勝手にしてという感じ。
Fujiq02  「ドドンパ」は、空気圧縮装置により、スタートからわずか1.8秒で時速172kmに達する驚異的なジェット・コースター。発射後すぐに地面と垂直に駆け上がり、垂直に降下する。
 「FUJIYAMA」は、全長2045mを誇る迫力満点のコースター。高い位置から見える樹海が見事で、晴れ晴れとした気分になった。この景色を見られただけでも乗った甲斐があった。曇っていたので富士山の勇姿が望めなかったが、晴天であれば、さらに眺望が美しかっただろう。79mの高さから時速130kmで急降下する。その後もコースレイアウトが素晴しく、最後までスリルに満ち、とても楽しめた。
 子どもたちは、トーマス・ランドやハム太郎の乗り物などで楽しんでいた。絶叫系に乗らないのであれば、キッズ・ライド・パスがお得。キッズ・ライド・パスで乗車可能な中でも、「ロッキー・スライダー」は迫力のアトラクション。インターネット上でメール・マガジンの会員に登録すると、大人向けのキッズ・ライド・パス優待券など、フリーパスの割引券が入手できる。
 なお、観覧車は、通常4人乗りだが、2人乗りの透明なゴンドラがある。床・壁・天井・シートの全てが透明なこのゴンドラは、一見見晴らしがよさそうだが、カップルが記念として引掻いた落書きで、見通しが悪かった。
 「人力コースター2025年完成」「299万円ハンバーガー」など、パロディの看板が至るところに掲示してある。たかが遊園地、されど遊園地。テーマ・パークが林立し、全国で廃止される遊園地が多い中、遊び心満載の、遊園地の王道を行く富士急ハイランドには、エンターテイメントの神髄を感じた。

富士急ハイランド

腹十二分目

 小学4年生の長男は、体は小さいがよく食べる。今日も食卓に好物のネギトロが出たので、ペロリと平らげ、おかわりもしてお腹がパンパンに膨れていた。それでもまだ食べたそうであった。私のネギトロとご飯を少し分けてやってから、
「腹八分目というでしょう。それくらい食べれば今日はいいんじゃない。」
と言うと、小学1年生の次男が、
「お兄ちゃんのおなかは、腹十二分目だよね。」
と言う。
 ああ、この感覚は大事だなと思った。「腹八分目」は10を基準として-2の数を使っている。それに対し、+2をした数は、「十二分」である。次男は格別プラス・マイナスを意識していたわけではないだろうが、12という数が出てくる感覚はいいなあと思った。実際、満足をした状態を、「十二分に」というではないか。
 割合の計算は、算数の授業で重要なポイントであり、この部分の習熟が、中学・高校の数学、ひいては社会生活で大きな影響をもたらす。その意味でも、割合の感覚を日常の中で触れていくことは、たいへん大事だと次男の言葉から気づかされた。

みさと芝桜公園

Sibaz_01  みさと芝桜公園に行く。所在地は現在高崎市だが、平成18年1月23日に合併する前は、箕輪城を中心とした箕郷町であった。
 箕輪城は、在原業平の子孫、長野業尚によって築かれたとされる。長野氏は、武田信玄に滅ぼされ、箕輪城は武田氏の上野経営の拠点と位置づけられた。信玄の死と共に、北条氏、井伊直政と城の主は代わっていった。
 関東平野の北西端に位置し、広大な野を一望できる榛名山中腹のこの地は、城主に様々な思いを抱かせたことだろう。Sibaz_02

 芝桜公園に着いて、子どもたちは最初あまり乗り気ではなかったが、売店でたこ焼きを買って食べたら元気が出たようで、ピンク、赤、白と彩られた公園内を走りまわっていた。

みさと芝桜公園

入学式

 Nyugaku01 次男の小学校への入学式の日。
 祖母に買ってもらったランドセルを背負って初の登校。入学式には緊張した面持ちで臨んだ。
 本人は、勉強も給食も楽しみにしているとのこと。

倉渕

 文化の日は、晴れる日が多い。この日も天気は上々であり、倉渕の釣り堀に行く。
 平成18年1月23日に、倉渕村が合併し高崎市倉渕町となった。高崎市とはいえ、市街地からは、50Kmほど離れた場所にある。
Kurabuchi01  釣り堀「カネト水産」は、幹線道路からさらに1kmほど奥に入った山懐に抱かれた場所で、清流に緑が映える。
 釣ったニジマスを塩焼きにして昼食をとる。身がしまって美味である。
 その後、はまゆう山荘に行き、温泉に入る。

Kurabuchi03  はまゆう山荘は、横須賀市が市制施行80周年記念事業の一つとして建設した保養施設。横須賀市と倉渕村は、昭和56年に友好都市としての提携を結んでいたが、そのつながりは幕末の偉才・小栗上野介にまでさかのぼる。
 当時、勘定奉行としていた小栗上野介は横須賀の今日の発展の基礎となった横須賀製鉄所の建設を進めた人だが、彼の領地が権田村(現在の倉渕町権田)であったことがきっかけとなっている。
 倉渕村権田は、小栗上野介が非業の生涯を閉じた最後の地でもある。彼の墓所は権田の東善寺にあり、斬首された川のほとりには「偉人小栗上野介罪なくして此処に斬られる」と刻まれた碑が建てられている。
 はまゆう山荘は平成17年10月より 横須賀市より倉渕村へ移譲され、現在高崎市の所管となっている。(はまゆう山荘のサイトより)

Kurabuchi03  はまゆう山荘では、眼前に紅葉に彩られた山が迫る。
 秋の風情を満喫した1日であった。

上田城址

Ueda01  秋の信州、上田を訪ねる。上田城址公園で1日過ごす。上田城は、真田昌幸が1583年に築いた戦国期の平城。上田城は徳川の大軍を2度にわたって撃退したことでも知られる。堀や石垣、櫓門、西櫓など数々の建造物で往時を偲ぶことができる。

Ueda02  城跡の他、公園の一角には数々の遊具があり、子どもたちを遊ばせることができる。クジャクなどの動物も飼育されている。太郎山を背景に、石垣が歴史を伝え、静かな時の流れを感じる場所である。

Ueda04  公園内の上田市立博物館には、真田氏の資料などが展示されている。また、上田市出身の山極勝三郎博士の展示がなされていた。山極博士は、ペスト、脚気、癌などの研究をした病理学者。ウサギの耳にコールタールを塗布し続けることにより、世界で初めて人工的な癌の発生実験に成功した。この実績によって日本人初のノーベル賞候補に推薦された。

Ueda05  隣接して、山本鼎記念館が建てられている。山本鼎は、美術の創作のみならず、「自由画教育運動」、「農民美術教育運動」などの社会運動で業績がある。
 山本の作品である、与謝野晶子や島崎藤村の本の装丁も展示されている。簡素な中に清々しい味わいがあり、印象に残った。

Ueda06  秋の柔らかい日差しの中、歴史と自然にふれ、ゆったりとした時を過ごした。

運動会

2006_1007  次男の通う保育園の運動会がある。年長組なので、徒競走、組立体操、リレー、跳び箱やマット、騎馬戦、演技など今年は出番が多かった。次男の体力がついたことを実感した運動会だった。

高崎市・榛名町合併

Gappei_01  高崎市と榛名町が合併し、人口34万人の市となる。その記念に、ウォークラリーが市街地を中心に行われる。メイン会場となった市役所そばのもてなし広場には、早朝から多くの人が集まった。

Gappei_02  町中には、手作りのゲームや、体験コーナーなどのイベントが数々あり、子どもたちは楽しんでいた。自転車のパフォーマンスは、結構面白かったらしく、次男はその場でノートにスケッチをしていた。

Gappei_03  なぜか町中に馬がいて、無料でポニーの乗馬もさせてもらえた。子どもは、カウボーイ気分ではしゃいでいた。
 高崎市は、群馬の中央から長野県に接するまでの長大な市となった。

運動会

 小学校3年生の長男の運動会がある。紫の長鉢巻をつけ、沖縄の民舞、七月エイサーを踊る。Minbu01

ボリショイサーカス

Bolshoi  ボリショイ・サーカスを家族で見に行く。どの出し物も質が高く、楽しめた。タイミングを着実にとらえる生演奏も、サーカスを盛り上げた。ジャグラー、輪のバランス、フラフープなどは特に芸術性の高い出来映え。
 イヌ、ネコ、トラなど動物の曲芸も多い。人にあまりなつかないと思われるネコが、逆立ちをしたり綱渡りをしたりして驚く。
 最後に熊の綱渡りがあったが、熊がはしごをあまりに器用に登るので、人が入ったぬいぐるみかと思うほどであった。熊は綱を渡る時に一度失敗し、逆さになってぶら下がって戻ったが、後ろにいた芸人はそれで引き下がることを許さずに、「もう一度行けよ」という感じで足で押して、再度綱を渡らせた。熊はなんとかもう一方の端までたどりついたが、到着する直前におもらしをしてしまった。よっぽど怖かったのだろう。動物の芸にも決して妥協しない、徹底したプロ意識を感じるステージであった。

ボリショイサーカス

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