手塚治虫の伝記

 ストーリー漫画の開拓者、手塚治虫の伝記を息子が読み終える。エジソンや宮沢賢治に比べ、「ブラックジャック」や「火の鳥」などで息子にもなじみがあるので、読みやすかったようだ。
 毎日、息子の朗読を聴くのを日課にしているが、手塚治虫の伝記は親子ともに本当に楽しむことができた。ところどころに手塚まんがが挿入され、イメージが描きやすい。
 著者は、手塚治虫の担当編集者であった中尾明。半世紀を嵐のように駆け抜けた手塚の生涯を、活き活きと記している。
 手塚治虫は夢と希望を与える、皆に愛される作品を生み出し続けた。その子供時代は、昆虫、天文など様々なことに興味をもっていた。実際に手塚が中学時代に作った昆虫図鑑を見たことがあるが、その精密さに驚き、感動すら覚えた。
 よき作品を残した人が、あふれる好奇心を持ち続け、どれほど豊かな生涯をおくったかを息子と共にたどれ清々しい思いだった。

手塚治虫―まんがとアニメで世界をむすぶ
中尾 明
4061475754

丸山勝廣氏楽団葬

 生涯で自分が最も感動した音楽は、ベルリンフィルでも、ウィーンフィルでもない。群馬交響楽団が1992年3月31日に行った演奏である。

 この日、高崎市の群馬音楽センターにて、群馬交響楽団を育ててきた丸山勝廣氏の楽団葬が行われた。葬儀委員長は、群馬県知事の小寺弘之氏。委員長挨拶は、決して形だけのものではなく、音楽を愛する人の思いが込められた言葉であった。

 小澤征爾氏が献奏として、バッハのアリアを指揮した。小澤氏が手を静かに降ろした瞬間に鳴った群馬交響楽団の和音の美しさに、ふるえがきた。最初の一音で、楽団員たちの思いが伝わってきた。
 曲が進むにつれ、涙がとめどなく溢れてきた。真に魂をふるわせる音楽だった。小澤氏は、曲の最後に指揮する両手を合わせ、祈りを捧げた。
 たった一音で思いを伝えることができるとは。音楽の持つ力がこれほど強いとは。このアリアは生涯忘れ得ぬ演奏になるだろう。

 山本直純氏の指揮で、群馬交響楽団合唱団の一員として、モーツァルトのレクィエムより「ラクリモーサ」を歌った。小澤征爾氏も横で歌っていた。自然と気持ちを込めることのできる曲であった。

 群響が奏するベートーヴェンの交響曲第3番第2楽章(葬送)の流れる中、献花を行い、音楽センターの外に出た。

 それから、友人たちと観音山に登った。山から一望できる春の息吹を感じる高崎の景色がひときわ美しく感じられた。オーケストラのある町に住む喜びが素直に胸を満たした。
 桜が咲きほころぶ暖かい日であった。

泉は涸れず―丸山勝広と群馬交響楽団

菜の花忌

 1996年2月12日、司馬遼太郎が死去した。享年72歳。忌日は、生前好きだった菜の花にちなみ、「菜の花忌」と呼ばれる。今年は、没後10年にあたる。
 司馬遼太郎の膨大な作品群で、あえてひとつあげるとすれば、生きていれば最も会いたかったという高田屋嘉兵衛を描いた「菜の花の沖」が第一に思い浮かぶ。あまりに素晴しい作品なので、後でゆっくり語りたい。

菜の花の沖〈1〉
司馬 遼太郎
4167105861

宮沢賢治

 花巻の地に旅したとき、どこまでも続く木々を見て、安心と畏怖が入り交じった不思議な気持ちになった。風にさわぐ木々の薫りにふれ、まさしく人と文学を育む地だと感じた。
 宮沢賢治のひたむきさと澄んだ抒情にあふれた作品に接するとき、この花巻の森を思い出す。

 息子に、西本鶏介が思いを込めて書いた宮沢賢治の伝記を読ませている。信仰と現実とを一致させるべく苦悩する様を読んでも、小学2年生にはまだ実感を伴って理解できないかもしれない。しかし、自然への慈しみや、前向きに取り組むことの尊さは伝わるはずである。
 なにより、子どもの読む「永訣の朝」などの詩に感動できることは、この上ない喜びだ。

宮沢賢治
西本 鶏介
4061475207

後藤新平

 後藤新平の「処世訓」に、こんな言葉がある。

 妄想するよりは活動せよ。
 疑惑するよりは活動せよ。
 話説するよりは活動せよ。

 後藤新平の生涯を見ると、これを言うのにふさわしい人であることがわかる。

最後の相場師

 日本の株式市場は、最近とみに活況を呈している。12月9日の東証1部の売買高は37億102万株、売買代金は4兆6494億円にのぼり、過去最高を更新した。1980年代のバブル期をも凌ぐ勢いである。
 その一因として、オイルマネーを始めとした外国資本の流入があるが、国内個人投資家の急増も見逃せない。主婦や学生のにわか投資家も増えている。主婦の雑誌などに、「カリスマ投資家の必勝法」などといった記事をよく目にする。主人の給料以上の額をデイ・トレードなどで稼ぐ主婦もいるようだ。今は活況だから良いが、マーケットは甘くない。先日はみずほ証券によるジェイコム株の誤発注で、日経平均株価は300円を超す下落となった。不安定要因はつきもののマーケットには思わぬリスクもあるので、どうか家族を破滅に追い込むような投機はしないでほしいと願うばかりだ。

 最後の相場師とうたわれた是川銀蔵は、16才で大陸にわたり、軍部と商売をして少年実業家になるが、倒産して日本に帰る。その後も様々な商売に手をつけ、浮沈を繰り返す。経済を徹底して勉強し、経済研究所も設立する。晩年、日本セメントなどの株で仕手戦を行い財を成し、その名を広めることになる。
 その是川銀蔵ですら、欲に目がくらみ、同和鉱業の株で手痛い失敗をして巨額の損失を出す。「相場師一代」は、その是川銀蔵唯一の自伝である。にわかトレーダーには、自戒の書として読んでもらいたい。
 また、津本陽が是川銀蔵をモデルに描く「最後の相場師」は、株の仕手戦の様子がリアルに描かれ、迫真の経済小説である。相場には、その人の生き様が反映されることが、如実に示されている。

相場師一代
是川 銀蔵
4094034714

最後の相場師
津本 陽
4041713013

脳梗塞からの再生

 昨日(2005年12月4日)放映されたNHKスペシャル「脳梗塞からの“再生”~免疫学者・多田富雄の闘い~」を見る。多田富雄氏の著作「免疫の意味論」を10年ほど前に読み、たいへん感銘を受けた。生体反応を研究し続けた著者が、自己の変化とどう向き合ったのか、失礼かもしれないが、関心があった。
 多田氏は4年前に脳梗塞で倒れ、右半身不随となり、喋ることもできなくなった。第一線で活躍していた学者が、一夜にして話すことができず、歩くこともできず、自分で食べることすらできなくなる、その苦痛はいかばかりだったろうか。一時は死ぬことばかり考えたという。
 しかし、リハビリを続け、少しづつ自分の機能が戻り始めたことから、自己を見つめ直す。
 電子音声が出る装置のキーボードを叩き、家族と会話をするだけでなく、研究生を叱咤する。パソコンを始め、片手でキーボードを押してメールはおろか、本の執筆までこなす。それのみならず、能を創作し、演出を手がけ、上演まで行う。
 その前向きな姿に、ひたすら頭が下がる思いだった。
 

もう、きみには頼まない

 財界総理と呼ばれ、日本の高度経済成長期に経団連会長をつとめた石坂泰三の生涯を描く小説。石坂泰三は、第一生命、東芝などの社長を歴任し、経済界に多大な影響を与えた。現職の大蔵大臣や総理にすら、「もう、きみには頼まない」と啖呵を切るほどの気骨を持っていた。

 最も感銘を受けたのは、80歳近くなってから大阪万博の会長を引きうけるエピソードだ。
 「万博は深い意味を持っている。見本市とか何とかとちがって、人類が文化に貢献したものを、一堂に展示するのだから」-即興で英国の詩を原文で諳んじるほど、深い教養をもった人物であったからこそ、「人類の進歩と調和」というテーマが生まれたのであろう。
 万博について、四つの方針「予定の開催日に間に合わせること。事故防止。汚職の根絶。赤字を出さぬ。」を定めた。言うは易く、これだけの国家事業を進めるには相当苦労があったろうが、方針を貫き見事に成功に導いたことは凄いと思った。

 多くの経済人を描いてきた城山三郎が、石坂泰三を描く小説を持ち込まれてから、二十余年もの歳月を経てようやく執筆にいたる経緯を描く「あとがき」にも感動した。

 数多くの重責を担った人物の生涯であるが、読後には清々しさをおぼえた。真に志のある生き方だったからであろうか。

歳月

 明治維新政府で司法卿として敏腕をふるった江藤新平の生涯を描く、司馬遼太郎の「歳月」。明晰な頭脳を持ち、近代司法制度の基礎を作り、廃藩置県を断行するなど大きな功績を残しながらも、佐賀の乱に身を投じる波乱の人生を、様々な視点から活写している。
 佐賀藩主、鍋島閑叟との関わりや、征韓論のくだりがたいへん興味深かった。
 江藤ほどの才人をも掌におさめる大久保利通に凄みを感じた。

歳月
司馬 遼太郎
4061310399

ウェブログのきっかけ

いきなりですが、すみません。
最近、ずっとホームページが更新されていませんね。
楽しみにしているのに、とても残念です。

ぜひ、最近の音楽や映画のこと、読みたいです。

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 7月の終わり頃、このようなメールを電脳執筆家、丹羽信夫さん(「低レ研」の作者)からいただいた。確かに、自分がホームページを持っていたことすら忘れかけていた。

 ホームページ「パストラーレのひととき」の過去に書いたものを読み返してみると、書き込みをしている時分は、精神的に充実していた頃だったように思い起こされた。そこで、これを契機として、また何かを書いてみようかという気になった。

 ホームページを1から作り直すのも、手間がかかりそうなので、いっそのことウェブログという自分にとって初めての手段でやってみようという気になった。仲間の齋藤俊明さんが昨年からウェブログを開設し、毎日更新なされていることに感心し、興味は持っていた。

 しかし、1ヶ月間取り組んでみて、毎日書くのは大変だと実感した。結局、4~5日にまとめて書き、日付をづらして平均して1日1個のエントリーとしているのが実状である。やってみて初めて、齋藤俊明さんのように教育という一貫したテーマを持って毎日書くことの大変さ、背景の必要性を痛感した。

 いずれにしても、記していく場ができ、1ヶ月たった。何かの転機になるかもしれない。きっかけを与えてくださった丹羽さんに感謝申し上げます。

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