朝比奈隆 ブルックナー交響曲第9番
朝比奈隆が指揮をした最後のブルックナー、交響曲第9番のCDを聴く。2001年9月24日、93歳の時の演奏で、この2ヶ月後に他界する。
ゆったりとした、惜別のブルックナー。
ブルックナー:交響曲第9番
朝比奈隆 大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆が指揮をした最後のブルックナー、交響曲第9番のCDを聴く。2001年9月24日、93歳の時の演奏で、この2ヶ月後に他界する。
ゆったりとした、惜別のブルックナー。
ブルックナー:交響曲第9番
朝比奈隆 大阪フィルハーモニー交響楽団
立花隆の読書論、書斎論、書評を集めた本。講演の記録である「知的好奇心のすすめ」は、その密度の濃さに驚かされる。立花隆が、最先端の科学技術をいかに取材しているか、そのエッセンスが語られ、この部分だけでも読む価値はある。
立花隆の仕事場、『ネコビル』顛末記も、妹尾河童のイラストが添えられており、興味深い。貪欲な知的好奇心と旺盛な仕事ぶりには圧倒され、刺激をうける。
上記の演題で、柳田邦男氏の講演会が11月18日に群馬県総合教育センターで催された。主催は群馬県読み聞かせグループ連絡協議会。約300名の聴衆が会場のホールを埋め尽くした。
「マッハの恐怖」などで航空機事故に挑み、「ガン回廊の朝」、「「死の医学」への序章」などで、癌や末期医療を取り上げた柳田邦男氏である。鋭く問題提起をする著述から、講演の内容はかなり硬派な話であろうと想像していた。しかし、その予想は喜ばしい形で裏切られた。
「絵本「もこもこもこ」を広げ、『もこ、もこもこ』とおじいちゃんがいっていると、孫が『おじいちゃん、何それ』と寄ってきたりして、いいですよね。」
と柔和な表情で語りかける。
「書斎の三分の一が絵本で埋まっています。」という氏は、このところ日本人の心の問題を多く扱い、絵本について精力的に取り組んでいる。
今回の講演は、スライドを用いて絵本の紹介をしながら、その背後にあるものや、育てるべきものを静かに語りかける内容であった。
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美しい自然と、少女の情感を詩的に歌い上げた「月夜のみみずく」は、工藤直子氏の日本語訳も素晴らしい。 柳田氏は、朗読をしながらこの本のよさをじっくりと語った。 |
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「そらとぶアヒル」などの作者、内田麟太郎氏が絵本「おかあさんになるってどんなこと」に込めた思いが語られた。実母との死別、虐待の経験など、いたく感動的な話であった。 |
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幼い弟が病気で死にむかおうとしたとき、それをまだ幼い兄や姉に伝えなければならない場面で、医師は絵本「わすれられないおくりもの」を取り出し、静かに朗読した。 |
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柳田邦男氏が翻訳した、「ぼくはだれもいない世界の果てで」は、ひとりでいること、考えることの大切さを自然への愛おしさを込めて表わしている。 |
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モンゴルの民話「スーホの白い馬」を元にした劇を、障害者の学級の子どもたちがぜひやりたいと言い、影絵の芝居とした。主役を演じたやっちゃんは、たどたどしい台詞で熱演し、いままでいじめていた健常者の生徒の涙をさそい、「ごめんね」という言葉とともに交流が始まった。 やっちゃんは、その後、火事によって死んでしまう。担任をした先生は、モンゴルに行きたいというやっちゃんの思いに答えるため、遺灰を持ってモンゴルに渡る。話を聞いた現地の人々は、馬頭琴を実際に奏してくれる。これをきっかけに、やっちゃんのいた福山で、障害児たちのためにモンゴルの人々による馬頭琴のコンサートが行われた。 |
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柳田邦男氏が、最後の一文に頭を貫かれ、翻訳して日本に送り出した「エリカ 奇跡のいのち」。 第二次大戦中、ナチスによってダッハウの強制収容所に送られる貨物列車の中で、母は抱いている赤ん坊を小窓から外に投げ出した。奇跡的に生き延びた少女とその思い。 |
このように、柳田氏は、絵本に込められた数々の思いやそれにまつわるエピソードを語っていった。その他に、次のような本が紹介された。並べると、あらためてメッセージ性の豊かさを感じる。
きりのなかのはりねずみ ユーリー ノルシュテイン ![]() |
だくちる だくちる―はじめてのうた 阪田 寛夫 V.ベレストフ ![]() |
あの森へ クレア・A. ニヴォラ 柳田 邦男 ![]() |
ごんぎつね 新美 南吉 黒井 健 ![]() |
だいじょうぶだよ、ゾウさん ローレンス ブルギニョン ![]() |
でも すきだよ おばあちゃん S. ローソン C. マガール 柳田 邦男 ![]() |
「高度経済成長期のツケがまわってきたのか、躾などあたりまえのことが受け容れられない時代になっています。子育ては分析的にはいかないし、教育の問題はすぐに解決するものではないでしょう。ひとつ言えるのは、大人が心を耕さなければならないということです。」
柳田氏の一言一言は、日本におけるノン・フィクションの分野を確立し、ジャーナリズムの精神を貫いた体験に裏打ちされ、実に説得力があった。
「失望はしても、絶望はしない」
氏は絵本を通し、柔和な表情の奥にある鋭い眼差しでメッセージを送り続けている。
講演の後に、ステージ上でサイン会が行われた。ホールの最後尾に達する長い列ができたにもかかわらず、氏はサインを求めるひとり一人の名前とメッセージを見事な筆跡で丁寧に記していた。その愚直なまでの真摯な姿に頭が下がった。
大蔵省、国税庁、検察当局を相手にして闘った税理士、飯塚毅の熱き生涯を描く、高杉良の実名小説「不撓不屈」。
昭和37年、飯塚税理士は、中小企業のためにとった税務手法を否定され、当局を相手に訴訟を起こすが、それを契機として、飯塚会計事務所とその顧客に対して徹底した調査が入り、度重なる圧力が加わる。ついには、飯塚会計事務所の職員が税理士法違反の疑いで逮捕されるまでに至る。世に言う、「飯塚事件」である。
常人であれば、当局の所業にとうに屈しているが、飯塚は、厳正な信念と禅で培われた精神力により、最後まで国家権力に抗する。
本書は、緻密な取材に基づいた迫真の経済小説であると同時に、家族や恩師、同胞がいかに飯塚を支えたかを描き、奥行きのある作品となっている。
「自利とは利他を言う」
この人生哲学に立脚した率直で毅然とした生き様に感服するとともに、周囲の人々の飯塚に対する信頼と愛情の厚さが、名状しがたい感動となって迫ってきた。
不撓不屈〈上〉 高杉 良 ![]() |
不撓不屈〈下〉 高杉 良 ![]() |
「あの人が振るだけでオケが鳴り出す」
1992年1月18日、群馬音楽センターで小澤征爾が群馬交響楽団を指揮をしたベートーヴェンの交響曲第7番は、いまでも鮮烈に印象に残っている。
普段の群響とは、明らかに違う音が聞こえたのだ。なんという張りのあるつややかな弦の音色、輝かしい金管の響き、木管の彩り。ことに、主旋律が楽器から他の楽器に引き継がれる部分は鮮やかで、この曲の素晴らしさを教えられた。
第1楽章の華やかさ、第2楽章の抒情、第3楽章のリズムのよさ、第4楽章の推進力、小澤征爾がリードする群響の熱のこもった演奏には、最初から最後まで魅了された。
演奏後の会場割れんばかりの拍手の中、小澤征爾が客席の一角に向かって指さし、自らも拍手をした。その先には、車椅子に乗った丸山勝廣氏の姿があった。丸山氏は、群響を生み、育て、地方文化に計り知れぬ貢献をした人。小澤征爾も、若き日に丸山氏の招きで何度も群響移動音楽教室の指揮をし、経験を積んだ。
その丸山氏は、小澤征爾指揮による群響定期公演の1ヶ月後、2月28日に世を去る。
丸山勝廣氏の楽団葬が行われた群馬音楽センターで小澤征爾は再び指揮をし、この上なく美しい音楽を氏に捧げた。
秋の信州、上田を訪ねる。上田城址公園で1日過ごす。上田城は、真田昌幸が1583年に築いた戦国期の平城。上田城は徳川の大軍を2度にわたって撃退したことでも知られる。堀や石垣、櫓門、西櫓など数々の建造物で往時を偲ぶことができる。
城跡の他、公園の一角には数々の遊具があり、子どもたちを遊ばせることができる。クジャクなどの動物も飼育されている。太郎山を背景に、石垣が歴史を伝え、静かな時の流れを感じる場所である。
公園内の上田市立博物館には、真田氏の資料などが展示されている。また、上田市出身の山極勝三郎博士の展示がなされていた。山極博士は、ペスト、脚気、癌などの研究をした病理学者。ウサギの耳にコールタールを塗布し続けることにより、世界で初めて人工的な癌の発生実験に成功した。この実績によって日本人初のノーベル賞候補に推薦された。
隣接して、山本鼎記念館が建てられている。山本鼎は、美術の創作のみならず、「自由画教育運動」、「農民美術教育運動」などの社会運動で業績がある。
山本の作品である、与謝野晶子や島崎藤村の本の装丁も展示されている。簡素な中に清々しい味わいがあり、印象に残った。
長男に音読させている伝記のシリーズ、講談社火の鳥伝記文庫の第1巻が、野口英世。人気の高さがうかがえる。
幼い頃の手のやけど、母の愛、たゆまぬ勉強と研究、支える人々との出会い、世界で認められる業績、悲劇的な最期、まさに伝記とするにふさわしい生涯である。
この伝記は子ども向けではあるが、単に野口英世の生い立ちや功績を追うのみではなく、弱い面にもふれている。人に頼ることの多い生活、度重なる借金などについて記されている。だが、それによってこの偉人の業績が薄れるわけではない。完全ではないからこそ、そのひたむきさにより敬意がもてる。
長男は読み終わった後、付記されている年表を見て、
「ベルが電話機を発明した年に野口英世は生まれたんだね。」
と言っていた。歴史の横糸を心の中に紡ぐ上でも、伝記は役に立つ。
野口英世―見えない人類の敵にいどむ
滑川 道夫
久しぶりに素晴らしいドラマに出会った。昨年亡くなった帝国ホテルの元総料理長・村上信夫氏の様々なエピソードを描いたNHKのドラマ「人生はフルコース」である。
村上氏は、パリ留学、バイキング料理の導入など、様々な経験を経て、さらにNHK「きょうの料理」の講師として、日本の食文化を広げることに多大な貢献をした。
また、東京オリンピックでは選手村料理長として、全国から集められた料理人と奮戦する。
その村上氏を、高嶋政伸が爽やかに演じている。料理人としての一途で波乱万丈の生涯は、まさに西洋料理のフルコースのような芳醇な味わいを醸していた。
息子が、「豊臣秀吉」を読み終える。仕事から帰って、息子の音読を聴くのが毎日の楽しみのひとつ。
この秀吉の伝記は、少年時代から始まり、前半が本能寺の変、山崎の合戦を経て天下を統一するまでが書かれているが、実に展開が速い。それに比べて、後半は天下統一後がじっくりと描かれ、趣きがあった。
豊臣秀吉―ぞうりとりから戦国の英雄に
岡田 章雄
4月に映画「子ぎつねヘレン」を見たので、息子にヘレン=ケラー自伝の音読をさせた。「見えない、聞こえない、しゃべれない」の三重苦を乗り越えた少女の自伝である。
生き生きと綴られる文章に驚いた。まさに、「光の世界に歩み出した」ことを感じさせてくれる。サリバン先生と出会い、言葉を知ったことから、ヘレンの世界は急速に広がり、ラドクリフ大学に入学するまでに至る。
息子の音読を聴きながら、ヘレン=ケラーの向上心と感受性に、頭が下がる思いであった。
ヘレン=ケラーを支えた、グラハム=ベルや、マーク=トゥエインとの交流もたいへん興味深かった。電話の発明として知られたベルだが、聾唖者のために尽くした人であったことは、この本で初めて知った。
巻末の「サリバン小伝」も、ヘレンを教育し支え続けたサリバン先生の短い伝記だが、たいへん胸を打った。
教育と言葉の重みを、改めて実感させてくれた本であった。
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