ハロルドとむらさきのクレヨン
子どもが図書館で「ハロルドとむらさきのクレヨン」のビデオを借りてくる。イマジネーション豊かな、素晴しいアニメーションだった。
子どもが図書館で「ハロルドとむらさきのクレヨン」のビデオを借りてくる。イマジネーション豊かな、素晴しいアニメーションだった。
ダイナマイトを発明し、遺産のほとんどを平和のための賞の設立に託したノーベル。その生涯を息子の音読でたどる。
父の代から様々な発明で工場を興しながら、製品の事故や政治の都合によって、何度も倒産の憂き目にあう。しかし、次の発明によって、新たな事業を始めていく。その不撓不屈の姿勢がすごい。
自ら発明したダイナマイトは、工事の効率を飛躍的に高め、産業の進展に貢献したが、同時に戦争に利用され、幾多の命をうばっていく。ノーベルは平和を願っていたが、戦争をなくすことの難しさもよく理解していた。ノーベル賞の設立は、幾多の発明を成し遂げる柔軟な思考の中で培われたバランス感覚があってこそ生まれた方策だったのではないか。
科学者の気概と苦悩を伝える良書。
モーリス・センダックの絵本「ちいさなちいさな絵本箱」「かいじゅうたちのいるところ」「まよなかのだいどころ」をアニメーションにしたビデオを見る。センダックのコミカルで不思議な世界がたっぷりとつまっていて、家族で楽しめた。
最後に、センダック自身が出演していて、興味深い。
「子どもの頃、おじさん、おばさんがぼくを見て言ったんだ。
『ほんとにかわいいね。たべちゃいたいくらいに。』
とても怖かった。」
まんが偉人物語の第9巻、「アンデルセン」「ベル」のビデオを図書館から借りてみる。それぞれ10分ほどのアニメーションだが、密度が濃く、胸をうたれる。特に、アンデルセンの回は、自らの生い立ちを語りながら子どもを励ます話で、静かに胸にしみる。このような良質のアニメーションは、もっと普及されるべきだと切に思う。
高崎市、少林山のだるま市は、1月6日の正午から翌7日の午後1時まで、夜を徹して開催される。
昨年は風が強くてたいへん寒かったが、今年はおだやかなので、6日正午少し過ぎに家族で自宅から歩いて行く。碓氷川の堤防から見える、快晴に白く映える浅間山が美しい。
国道18号側から、碓氷川にかかった鼻高橋を渡り、達磨寺に向かう。
石段を上がり、境内でお参りをする。帰りの順路には、だるまを売る店や屋台がずらりと並び、独特の風情がある。
「縁起だるまの少林山」と上毛カルタに歌われるだるま、マユは鶴、鼻から口ヒゲは亀をあらわし、福を呼び込むとされる。少林山周辺では、70軒ほどの家で年間150万個のだるまが生産され、全国の8割を占めるとのこと。
子どもたちは、行きだけでも結構歩いたので空腹。からあげやたこ焼きを買って食べ、りんご飴をなめながら歩き満足していた。
ちょっと歩けばすぐに「だっこして」と言っていた次男が、いつの間にこれほど長く歩けるようになったのかと、子どもたちの成長ぶりにあらためて気づいた。今日もひたすら食べ歩いている長男は、もう石臼のようで抱き上げることすらできない。
2008月1月1日 - 今年は、ねずみ年。届いた年賀状も、様々なネズミをあしらったものが多い。中には、ハリネズミもみられる。まるっこい形と、ハリで身を守るという健気さが愛嬌を醸す。
ハリネズミを目にすると、学生の頃に見た映画が思い出される。今から26年前、1982年1月23日に東京御茶ノ水にあった日仏会館(現在は恵比寿に移転)で見た、「霧につつまれたハリネズミ」だ。高畑勲監督の「セロ弾きのゴーシュ」の完成試写会に出かけたのだが、「ゴーシュ」の前に上映されたのが、この「霧につつまれたハリネズミ」だった。
それは不思議な映画だった。ロシア語で字幕もなく、スクリーンに映し出されたジャムを包んだ袋を持ちながら森の中を歩く小動物に目をこらした。言葉は分からないが、その小動物、ハリネズミの心の動きが、画面から伝わってくる。いつしか、森のちょっとした変化に好奇心をもち、驚き、畏れ、ハリネズミと同じ体験を味わっていた。こぐまと会えたことには、心からの安堵を覚えた。アニメーションの芸術を追究するロシアのユーリ・ノルシュテインによる作品との出会いであった。
絵を組合せ、少しずつ動かしながら制作される手作りのアニメーション。その手間のかかる作業から紡がれるノルシュテインの映像は、遠い日を思わせるような深い抒情を持っている。たとえ諷刺が含まれていたとしても。
気の遠くなるような作業と、生み出される作品の力。この1年、自分は何を紡げるのだろうか。テーマの普遍性が、作品の根底を支えていることがヒントになりそうだ。
きりのなかのはりねずみ (世界傑作絵本シリーズ)
Yury Norshteyn Francheska Yarbusova Sergey Kozlov
佐久スキーガーデン「パラダ」に家族で行く。上信越自動車道の佐久平PAに直結しているので、たいへん手軽に行ける。北パラダ・南パラダの2箇所があるが、南パラダは雪はほとんどなく、まだオープンしていなかった。無料のシャトルバスで北パラダに向かう。こちらも、あまり雪がなく、スキーができるゲレンデが1コースしかない状態。
子どもたちは、キッズランドでソリすべりをする。2年前には、ソリを怖がって乗れなかった次男も、今回は滑ることができ楽しめた。 いつもは動いているベルトコンベアーが、上の方まで雪がないために止まっていた。それでも、子どもたちはソリを持って何度も登り、茶色が混じる斜面の滑りに興じる。でっぷりとお腹が出てきた長男にとっては、運動になってかえって良かった。
幕末から明治にかけての変革期に、時代の先を見据えて行動した勝海舟。その波乱に満ちた生涯を、息子の音読でたどる。
野良犬に金玉をかまれる劇的な出来事から始まり、小気味よいリズムで話が進んでいく。極貧の中で、剣と禅で心胆を鍛え、学問の精進を重ねる。オランダ語の辞書「ズーフ=ハルマ」58巻を人から借りて毎日筆写し、1年間で2組を完成させたエピソードは、息子も印象に残ったようだ。
咸臨丸による渡米、坂本竜馬との出会い、西郷隆盛との談判など、会話の多い歯切れのよい文体で、勝海舟の半生が語られていく。西郷隆盛との江戸城明け渡しの会見にあたっても、交渉決裂の際には江戸を火の海にする焦土作戦をとる気構えで臨んだことが、新門辰五郎との会話で描かれている。
数々の難局を、懐の深さと、心の機微に通じた確かな呼吸で乗り切った生涯。困難な場面ほど「大らかさ」とねばり強さを忘れずに先を見抜くことの大切さを教えられた。
息子が国語の教科書を音読するというので、聴くと、落語「ぞろぞろ」であった。教育出版の教科書である。「アジアの笑い話」として、モンゴル、中国、韓国などの話の後、古典落語「ぞろぞろ」のあらすじが紹介されている。
それでは、実際の落語をと、子どもに聴かせるために図書館から「ぞろぞろ」のCDを借りてくる。立川談志が昭和44年に紀伊国屋ホールで演じたものだ。録音状態があまりよくなく、やや明瞭さに欠けるが、味わいがあった。
子どもたちには、まくらが長く、やや分かりづらかったかもしれないが、それでも雰囲気は伝わったようだ。ただ、談志の噺は、女好きの神様が中心に据えられているため、「これが『ぞろぞろ』なの?」との反応。ちょっと子どもたちには難しかったようだ。
「黄金餅」は、談志の十八番であるとのこと。確かに、この異様にブラックな落語は、語り手によっては後味の悪い印象になってしまうだろう。その点、談志の「黄金餅」は、そのキャラクターもあいまって、からりとした感じを受けた。
「落語とは人間の業の肯定である」との信条を体を張って示している人なればこそ「黄金餅」が光るのかもしれない。
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